デリヘル全盛期の今、切っても切れないラブホ
このラブホのこと、みなさんどのくらい知ってますか

現在、1日平均70万人以上が
利用していると言われるラブホテル=ラブホ
その原形は江戸時代にあったの知ってます

江戸時代にあった「出会い茶屋」
これが明治時代になると「待合」「赤線地帯」になり
戦後「連れ込み旅館」へと変貌

今のラブホになるまでこれだけの変化がある

このラブホ、日本発祥だと知ってました?

というか欧米ではラブホという文化自体がない
最近では韓国をはじめとする、アジア諸国でもチラホラ見かけるように

韓国ではラブホを「♨」マークで示すことも
日本では温泉または公衆浴場を示す記号だが
隠語として「さかさくらげ」とも呼ばれ
日本では連れ込み旅館やラブホテルを意味することも

この「♨」マークは古くは
1661年の古地図にも見られるくらい長い歴史を持っている

1661年というのは
あの水戸光圀が水戸藩2代藩主になった時代だ

それではまず江戸時代の「出会い茶屋」から解説していこう

その名の通り出会いの場で、宿泊はできない
また見ず知らずの人が出会うのではなく
「逢い引き」「密会」の場として使われていた

恋人達、もしくは人目を避けなければならない2人の「待ち合わせ場所」だったのだ
そして明治になるとそれは「待合」に変貌していく

出会い茶屋との違いは待ち合わせだけでなく
会合などにも席を貸し、また客と芸者に席を貸し楽しむ場所に変わっていった

さらに時代は進み戦前は「赤線地帯」
この赤線とは、1958年以前に公認で売春が行なわれていた地域の俗称

そして戦後「連れ込み旅館」の登場で
一気に現在のラブホのスタイルに近づいていく

この連れ込み旅館は男女が一室を借りコトを致すための宿
おっさんが子供の頃のドラマには、まだちょくちょく登場していたものだ

今では古き良き時代の遺物として
小説や映画でしか見ることがない

そしてラブホの歴史にとって
大きな変換を迎える1960年代

まずこの「ラブホテル」という名前
メイク・ラブをするホテルだから、というワケではない

当時さまざまな名称で呼ばれていたラブホ
この「ラブホ」という名称は

東大阪市で営業していた「ホテル・ラブ」から
来ていると言われている

そしてこの時代、我々利用者にも大きな変化が生まれる
今までの連れ込み旅館を主に利用していたのは

「プロ」と呼ばれた女性たち

しかし、ラブホと呼ばれる60年代以降は
素人のカップルが利用するものへと変貌する

これまでアンダーグラウンド的なものだったが
ラブホと呼ばれ始める頃には一定の市民権が得られた感じだ

そんな折、1973年にラブホの代名詞ともいえる
「目黒エンペラー」がオープンする

普通の女性たちでも憧れてしまう豪華な設備や内装
この「目黒エンペラー」現在でも営業しているというから驚きだ

目黒エンペラー

詳しくはこちらをどうぞ
http://www.meguroemperor.com/

ラブホにもいろいろ種類がある
フロントを通すもの、無人のフロントを通り部屋へ入るもの
1階の駐車場に車を止め2階の部屋に入るもの

都会では目にすることはないが
地方ならよく見かけるガレージ式ラブホをご存知だろうか

車で部屋に直接乗り付けることができる
郊外型ホテルでモーテルと呼ばれることもある
パターンで言うと3番目のものと思っていただきたい

この日本初のモーテルは「モーテル北陸」といい、石川県にあった
そのせいかどうかは分からないが
関西や関東のホテル街と呼ばれるエリアの経営者たちは

なぜか、石川県出身の豆腐屋さんや銭湯の経営者達が
ルーツと言われている

銭湯はまだしもなぜ豆腐屋?
ラブホの闇は思ったより深いのか・・・

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